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2017年10月15日日曜日

黄門様

http://www.tokugawa.gr.jp/

西山荘


「水戸黄門」で知られる,水戸藩二代目藩主・徳川光圀公が藩主の座を退いた後,元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまでの晩年を過ごした隠居所。
光圀公はここで『大日本史』の編さんの監修に当たりました。入口には光圀が紀州から取り寄せ,移植した熊野杉が天を覆っています。建物は茅葺き平屋建て,内部は粗壁のままで,どの部屋にも装飾はなく,書斎も丸窓だけの三畳間と質素な佇まです。
なお,現在の建物は,文政2(1819)年に再建されたもので,春の梅,夏の新緑,秋の紅葉,冬の雪景色など,季節ごとに異なった表情が楽しめます。

 
▽「黄門様」で有名な水戸二代藩主徳川光圀公(1628~1700)は、平均寿命が一般に50歳といわれた時代に、73歳という長寿を全うされた方で、医食同源(いしょくどうげん)の思想に基づいて、食事には漢方を取り入れ、一汁三菜(いちじゅうさんさい)を基本として季節の野菜をよく食べていたそうです。
▽食に関しては特に関心が深く、若い頃から自ら「うどん」や「冷麦(ひやむぎ)」を打つのが得意であったという記録も残されています。
▽食材についても、米は常陸太田の河合米(かわいまい)、鮭は那珂川、鮎は久慈川、鯉は玉里(たまり)村というように、産地にまでこだわりをみせ、現代で言えば「地産地消」を実現されていました。
▽また、光圀公の師として江戸に招かれた明国亡命の志士朱舜水(しゅしゅんすい)とは、深い交流をもち、料理にもくわしかった朱舜水は、中国料理の白牛酪(はくぎゅうらく)(チーズの一種)・チャウツー(餃子)・火腿(かたい)(中国製ハム)・各種の牛肉料理なども、光圀公に提供してくれたようです。
▽光圀公が、好んでよく飲まれていたのが牛乳酒で、牛乳に酒と水を入れ、更に当時では大変貴重な調味料であった砂糖が加えられていたということです。
▽このような、当時の黄門光圀公の食文化の様子を記載している記録、特に『日乗上人日記(にちじょうしょうにんにっき)』や『舜水朱氏談綺(しゅんすいしゅしだんき)』、そして烈公徳川斉昭公著『食菜録(しょくさいろく)』等の文献を、水戸の調理師(昔風に言えば包丁人)故大塚屋子之吉(おおつかやねのきち)氏が長年かけて解読され調理方法の研究を重ねて、現代人の味覚に適合するように復元した料理が、現代版の「黄門料理」です。

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