水戸黄門はフィクションなので、良くない部分は見つけるのが難しく、反対意見も多いでしょう。
まず水戸黄門様が最後の立ち回りの後にそこにいる人を強制的に控えさせるのは良くない。
人を罰するのもどうでしょうか。人間はいつも自分が正しい・良いと思い、他人を悪い・間違っていると思うのである。黄門様のやっていることを日本人が見ると、だんだん無意識に黄門様思考になっていくでしょう。僕は前から水戸黄門に興味はなく、風車の弥七に興味を持っていました。風車の弥七のことについて今回はふれません。
なぜ「正義の味方」は、暴力と破壊を生み出す元になるのか?という記事がある。
読み終わったところで、注意しなければいけないのは、正義と正義の味方の違いである。そしてその記事の問題点も多いということです。
水戸黄門様は自分が正義であると思ってもいいかもしれない(フィクションですし)が、それを見る大勢の人々がすべて自分を正義の味方だと無意識に思っていいでしょうか。
私は正義である。または正しいのである。
私と敵対する相手は悪である。または間違っている。
悪は倒さなければならないのである。または間違っている人は間違いを認める必要がある。または罰される、痛みを感じる必要がある。
相手を滅ぼすのは正当な行為なのである。または認めなければ...をする。
黄門様思考が多くなると世の中が怖くなる。
正義という言葉はあまり使わない方がいいでしょう。はっきり決まっているわけではないです。
自分が正義だと決めてしまうと相手を受け入れることができなくなる。
ヒーローなどがあるストーリーには必ず正義というトピックが関連できる。
なぜ「正義の味方」は、暴力と破壊を生み出す元になるのか?という記事には「同じことはイスラムが布教していく中でも見ることができる。オスマン帝国がキリスト教もユダヤ教も弾圧して迫害していく歴史はヨーロッパ人は今でも知っている。」
これは違うのでは?
イスラム教徒は征服した地域の異教徒に対して、二つの選択肢を与えた。ムスリムに変えるか、税金を払うか。後者を選んだ人は自分の宗教を変えなくてよかった。その代わり税金を払う。不公平に見えるけど、ムスリムには寄付の義務がある(収入の40分の一)。異教徒にはない。キリスト教徒たちはこの義務を果たさなくてよかったので、その代わりに税金を支払ったというわけだ。(もちろんイスラムに征服されなければその義務は生じなかったんだが)
因みに20世紀まで続いたこのオスマン帝国の元ではキリスト教徒もユダヤ教徒もイスラム教徒と共存していた。イスラエルができてから、あるいはISが生まれてから対立や迫害が始まったようだ。
水戸黄門の良くない部分と正義はアップデートされる予定です。
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